渋谷センター街の改名、渋谷ヒカリエのOPEN、そして今年から2027年にかけて大規模なリニューアルを目指すべく改装中の渋谷駅など、かつて若者の情報発信基地であった渋谷は、加速度的に大人の街へと変貌しつつある。
当時は若者カルチャーの聖地であった渋谷から発信された文化は日本全国に瞬く間に広がり、そこで生まれたのが「ギャル男」であった。
そのトレンドを牽引していたのが雑誌「menʼs egg(メンズエッグ)」であり、誌面に出ていた読者モデルたち。カリスマ的な人気を誇っていた読者モデルの中でも、常にトップに君臨していた1人が澤本幸秀氏だった。
「もう休刊して7年になるんですね。あの時代のことは今でも本当に覚えていて、メンエグがなければいまこの場にいない事は間違いありません。
メンエグに出たのは18歳の頃。それまで読者だった僕が出られるなんて本当に夢にようでしたよ。実は読モになる前に一度歌舞伎町でホストをやってたんです(笑)。
当時のホストクラブは本当に怖くて、目の前でスタッフがボコボコにされてる場面を何度も見ました。それで、その店から逃げたんですが、地元で待ち伏せされて拉致られ監禁されたこともあります。
最初がそんなだったから、歌舞伎町のイメージは最悪でしたね。それ以降、本当に歌舞伎町には近づきもしなかったですね(笑)。」
新人紹介企画で憧れのメンエグデビューを果たした澤本幸秀氏。翌月も翌々月も撮影に呼ばれ、読モドリームが順調に走り出したかに見えたが、待っていたのは先輩モデルの洗礼だった。
「クラブで遊んでいた時に、先輩モデルも来てることを聞いて挨拶しに行ったんですけど、その時サングラスをかけたまま軽い感じで挨拶しちゃったんです。
案の定、後日呼ばれてかなり詰められました(笑)。上下関係や礼儀をわきまえるようになったのはこの時からかもしれませんね。後にも先にも詰められたのはその1回で、それ以降はめちゃくちゃお世話になりっぱなしですよ。今でもうちにちょくちょく来てくれるんですよヒロムくんは(笑)。」
着実にメンエグの読モとして地位を上げていき、ピン表紙を飾るだけではなくCDデビューを果たすなど活躍の場をさらに広げていく。
「雑誌に呼ばれる企画にもランクがあって、毎月読モ間で確かめ合っていましたよ。巻頭ファッション系に呼ばれることは誇らしかったですけど、やっぱり僕は体張る系の企画が本当に好きでしたね。
特に思い出深いのが、雪山でフンドシ一丁でミニ四駆を作らされたり、スノーモービルで引きずり回されたり、真夏日に海に行ってやっぱりフンドシ一丁で、濡れタオルでしばき合いしたり、二人羽織で熱々のおでんを食べさせられたりと挙げたらキリがないですね。
本当にメンエグの編集部はイカれてましたよ(笑)。ただ悔しいけどどれもが楽しくて面白くて最高でした」
当時の読者モデルたちは、芸能人よりも稼ぎ、その影響力は計り知れず、特に様々なアパレルブランドが、人気の読者モデルを広告塔に仕立て上げていった。
読モ個人がそのブランドを着てスナップに出れば、その宣伝の費用対効果は抜群だったからだ。またブログなどのSNSも普及し始め、どんな内容でも書けば多額の報酬が手元に入るようになっていたほど。
「当時の最高月収は諸々合わせて500万ほどですかね。本当に毎晩のようにお酒を飲み歩いていて、いつしかこんなに飲み歩いてお金を使うぐらいなら、いっそ自分でBARを作りたいと思うようになったんです。
行く先々で声をかけてもらえるようになっていたから、普通であれば知り合えない人との繋がりも増えていきましたし、ある程度の資金も貯めれたので、思い切って渋谷にBARをOPENさせました」
SNSの普及とアパレルブランドの縮小で、広告がメンエグから消えていき、ついには雑誌が休刊へ。読モたちはそれぞれの道に進むことになる。
「休刊になることを聞かされた時は頭が真っ白になりました。その後も渋谷でBARを経営していたものの、騒音問題でビルを追い出されてしまったんです(笑)。
それまで渋谷しか知らなかったのでいい機会だから18歳以降足を踏み入れなかった歌舞伎で再起を図ることにしました。歌舞伎はかつての怖さは全くなくなっていて、すごく過ごしやすい街に。
周りの人にも助けられお店はすぐに軌道に乗れました。ホストやキャバ嬢もよく来てくれるし、今でもメンエグを読んでいたっていう人も結構遊びに来てくれるんですよ」
今年は2店舗目をOPEN予定だとか。歌舞伎町ドリームを夢見る人たちと連日飲んで抱いた新たな夢とは。
「歌舞伎町は「頑張ろう!」と強い想いを持っている人が多い印象です。僕もそんな人たちと飲んでいるからかなり刺激をもらっています。いまの夢はBAR業界で日本一になることなんですが、実はBAR以外もいろいろと考案中です。」
最後に、仕事でいま1番大切にしているものを聞いてみた。
「やはり人との繋がりです。メンエグ時代に培った人脈もそうなんですが、ここで生まれている人脈も財産になっています。今後きっといまの繋がりも将来に役立ってくると思います。ちなみにMIAMIさんで連載のまどかさんは今年からウチのスタッフになります。これも繋がりですね(笑)」