インタビュー

【ホストの足跡】Drop 神崎聖弥

Drop 神崎聖弥

前号に引き続き、今月も各店舗のホスト1人をクローズアップしていく「ホストの足跡」。
今回は3店舗からいま注目のホストが、これまでの足跡を語ってくれました。

Drop 神崎聖弥
Drop 神崎聖弥
Twitter■ @kanzakipip

Drop

東京都新宿区歌舞伎町1-9-5 三経61ビル4F
TEL:03-6457-3868

島には帰りたくない!
その気持ちが踏ん張る力になる

希望を胸に島を出たが現実は簡単ではない!

皆さんは、三宅島って知っていますか? 山手線の内側と同じくらいの広さの島で、人口は2000人程度、そこが僕の故郷です。
小学校は全体で60人くらいしか生徒がいないんですが、友達と一緒に銛を持って、青く澄んだ海に潜り、魚を捕まえていました。
自然が豊かで、美しい島。周りからはよく「羨ましい」「住んでみたい」と言われますが……僕としては、一刻も早くその島を出たかったんです!

そりゃあ、観光で1~2日くらい来るのなら最高ですよ。でも、ずっと生活をするには不便過ぎる。
村社会特有のせまっ苦しさがあって、例えば、高校時代に初めて彼女が出来た時も、デートをした日の夜には母ちゃんから「アンタ、彼女出来たの?」って言われる始末。噂が流れるのが早い早い(笑)。
三宅島が大嫌いというわけではないんですが、それよりも、賑やかな東京にずっと憧れていました。

だから高校生の時にバンドを組み、卒業と同時に島を出る決意をしたんです。
島によく来る音楽プロデューサーと仲良くなってコネクションを作っておき、船に乗って、いざ東京へ!
希望を胸に、島を出た日のことは今でも忘れられないなぁ~。

しかし、現実はそんなに甘くはない。
音楽プロデューサーとの約束は反故にされ、自力で活動をしていくことに。
そこからは金欠地獄ですよ。週5でバイトをしたので25万近くは稼いでいたんですが、バンド活動にお金がかかってほとんど残らない。
朝にパンケーキを1枚焼き、それを半分にして昼と夜に食べていました。
他にも廃棄の弁当をもらって来ては、仲間と一緒に分け合いました。
そんな状態で続けるのは苦しくて、1年を経たずにバンドは解散。アーティストで稼ぐ夢は諦めました。

Drop 神崎聖弥

睡眠時間2時間のブラック企業に就職

でも、僕としてはまだ三宅島には帰りたくないわけです。
19歳の時に、知り合いのコネで就職先を紹介してもらうのですが、そこは真っ黒なブラック会社でした。
派遣会社で人事業務が僕の担当。外国人もいるので朝はベトナム語の勉強から始まり、200人程度のスタッフのデータを打ち込み、ランチタイムは夕方です。
忙しい上に、上司は怖い人。当時は2時間睡眠が当たり前で、折り返しの電話をしなくても許される電車の中だけが憩いの時間でした。
4年間働きましたが、さすがにもう限界。このままだと身体を壊すと思ったので、ある日、荷物を抱えて逃げ出したんです。

逃避行をしばらくして、名古屋でお金がなくなった時に、以前にメル友になった女の子が名古屋にいることを思い出して連絡しました。
そしたら、1ヵ月間だけ実家に住ませてもらうことに。
これからどうしようかと考えていた時、その子が「どうせやる事がないのなら、ホストでもやってみたら?」と勧めてくれたんです。
そして24歳でホストクラブに入店しました。

稼げたらラッキー程度に考えていたんですが、ホストを始めて1ヵ月目で、600万も売ってしまったんです。それで人生が一変しましたね。
「今までの金欠は何だったんだ!」って本気で思いました。
でも、急に大金が手に入っても使い方が分からないので、週6で『叙々苑』通い。ほんとに単純(笑)。
でも、貧乏性はちゃんと残っていて、残り1日は大好物の『松屋』のカレーを食べていました。むしろ、そっちの方が落ち着くんですよね。

三宅島には悪い人がいなかったので、人を疑うことをしてきませんでした。
それに「人の第一声は信じろ」という母ちゃんの教えもあったので、ホストになった当初はトラブル続き。
お金の貸し借りで友達をなくし、女性からも裏切られる。
相当、痛い目にもあいましたが、それでも信じてあげようって気持ちになってからは、少し心が楽になりました。

お金だけじゃなく、人間関係なども含めて、いろんな壁にぶち当たるたびに、ホストを辞めたくなりました。
でも、その時に逃げなかったのは「三宅島に帰りたくない」という想いがあったから。
少し歪んでいるかもしれないけど、そういう踏ん張り方があってもいいんじゃないですかね。
結果、ホストはもう10年近くやっていて、今では代表取締役にまでなっています。

もし、東京を夢見て島を出ず、三宅島に残っていたらまったく違う人生を歩んでいたでしょうね。
たぶん、役所で働いてハンコを押す日々だったでしょう。
確かに安定した生活かもしれないけど、心は死んでいたはず。
「自分の心に従う」、そして何よりも「すぐに逃げない」ってことは、僕が人生を通して学んできたことかも知れないですね。
僕が三宅島に帰るのはまだまだ先の話、もしかしたら一生来ないのかもしれないですね!

SEIYA HISTORY

10歳 海で遊びまわる
17歳 初めて彼女ができるが、その日のうちに島中に知れ渡る
18歳 アーティストを目指して上京。しかし1年足らずで挫折
19歳 派遣会社に就職
24歳 派遣会社から逃げ出してホストに転職。入店1ヵ月で600万を売る

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