インタビュー

BackBone〜いまの自分を作り上げたもの〜 LUCKY 江戸川 愛蘭

LUCKY 江戸川愛蘭

早くも大反響のBACKBONE。第2回目となる今夜は、NEOグループはLUCKYのIQホスト「江戸川 愛蘭」さんが登場。現在の姿とは想像のつかない過去が明らかに

LUCKY 江戸川愛蘭

LUCKY 江戸川 愛蘭『Never Give Up』

2人兄弟から8人兄弟に
生活がガラリと変化

中学生の時に親が再婚し、連れ子同士だったので2人兄弟が一気に8人兄弟になりました。10人家族の生活は思った以上に苦しくて、地元で1番の進学校に入学したものの学費のみは出してくれたのですが、その他の部活などに回す余裕はなかったのです。義父に相談しても「兄姉(義理)は部活をやっていない。お前だけ特別扱い出来ない」と。義父の連れ子6人と僕と弟のことで両親は頻繁に揉めていたので、それ以上頼むことはしませんでした。バイトが見つかった場合は退学だったのでそこまでリスクは犯せない。とはいえ、部活はやりたいし、ずっと続けていた空手も辞めたくなかったので、どうにかしてお金を作らないといけないと結構考えました。

輸入販売とキャディで
受験費を確保

貧乏な家だったけど、義父が仕事で使っているパソコンは自由に誰でも使えました。バイトはできないので、何かを安く仕入れて学校で高く売れればと目をつけたのがシルバーアクセだったんです。見よう見まねでパンフレットを作成し、手をつけていなかったお年玉から試しに1万円分仕入れて、学校で売ってみたらなんと期間で10万になったんです。ただ部活もそこそこお金がかかり、模試のお金も出してもらえなかったので、テストのたびに出費が嵩み、さらに周りにいい格好をしたくて羽振り良く使っていたら、あまり手元にお金が残らなかったんですよね。高校3年になって部活は引退したものの、今度は大学受験のお金、一人暮らしのお金、学費…とこれからもっとお金がかかってしまうことばかり。輸入販売だけではとてもじゃないけど貯められないので、隣の奈良県でゴルフのキャディのバイトをすることにしました。全く知識はなかったけど講習も受けれたし、ルールや各コースの特徴などは簡単に覚えられたので、すぐに慣れることができました。

慶応を諦め
国立の大学へ進学

家では夜に電気を使うと怒られるので、朝3時頃に起きて勉強し、放課後は生徒会長をやっていたおかげで生徒会長室を自由に使えることができたので、遅くまで学校で勉強をしていました。1日16時間は勉強していたかな。そんな生活が続き、滑り止めで受けた慶応に合格したものの、入学金と前期の学費で合計240万かかってしまうので諦め、地元の国立である三重大学に進学することにしました。入学金や学費はおかげさまで優秀だと認められたので免除になり、輸入販売とバイトで貯めた100万で一人暮らしも始めることができたんです。

貧乏期間が長かった分
将来は人より少しお金のある生活を

ずっと貧乏な生活を送ってきて、お金持ちになりたい想いは人一倍強かったと思います。ではお金持ちになるにはどうしたらいいのか?それは経営者になることだと、中学の頃からずっと考えてました。自分の子どもには好きなように部活はやらせてあげたいし、私立だろうと大学までは親の金で行かせてあげたいと思うんです。貧乏期間が長かったしその時頑張ったから、将来は人より少しお金のある生活をしてもいいでしょう(笑)とも思っていましたね。なので、大学では経営学をしっかり学ぶつもりだったんです。

生活費を稼ぐためのバイトで過労
ホストと学業の両立

学費はかからないけど、教科書代や生活費まではさすがに面倒を見てくれるわけではないので、自分で稼がなければいけません。三重大学生だけにくる家庭教師や塾の講師のバイトは他に比べると割高でしたし、夏休みや冬休みもしっかり稼げそうな塾の講師を選びました。名前は出せませんが、結構みんなが知っている全国区の進学塾で、バイトであろうとかなり厳しくて、授業の準備をするために毎日深夜まで作業してました。僕が担当した塾は少し離れた場所だったので、特急代も含めた交通費が支給されていて、少しでも貯めたかったので普通列車で通って、特急代はそのまま生活費に当てていました。毎日食事は電車の中でパンやおにぎりで済ませつつ、大学の勉強や塾の準備などがあったので、まともに寝られるのは移動時間だけでしたね。若いから大丈夫だと思っていたのですが、ある日の冬、いつものように駅のホームのベンチで食事し、立ち上がろうとしたら倒れ、そのまま起き上がることが出来ず、病院に運ばれてしまいました。結果は過労。まともな食事も取らずにあんな生活をしていたら保つわけないですよね(笑)。このまま講師を続けていけなくなってしまったので、どうしようかなと思っていた時に、ホスト雑誌をたまたま手に取ったんです。特にホストに対して偏見もなかったし、テレビの「ホストの花道」も観ていたから軽い気持ちでこの業界に入ることに。ちなみに当時そのお店のNo.1が実は現社長の石原拓美さんだったりします。あらためて思うと長い付き合いですね(笑)。

LUCKY 江戸川愛蘭

在学中に友人と会社設立
順風満帆のハズがリーマンショックで

1年ほどレギュラーとして学業と両立していましたが、そこまで苦に感じることはありませんでした。21歳になり、ホストで貯めたお金を元手に知り合いと2人で派遣会社を設立。僕が出資してパートナーが人脈を紹介して始めた会社は順調で、月500万ほどの収入を得ることができていました。しかし23歳になった時、リーマン・ショックの煽りを受けて会社を続けられなくなったんです。派遣会社の登録保証やらで2人で5000万は支払えたものの、残りの1000万がどうしても払えず、消費者金融と親戚に頼んで、どうにか工面することが出来たのですが、1000万の借金を背負うことになったんです。

大学中退後にパチプロに
1番稼ぎはいいけど…

その頃になると義父とのわだかまりもなくなっていたので、一度地元に帰ることにしました。大学は単位は取れていて、あと卒論を出すだけだったのですが、在学中に経営者になることが出来てしまったので、4年の後期に中退しちゃいました。もう学ぶこともありませんでしたしね。25歳までの2年弱は地元のパチンコ屋で働いてみたり、パチプロをやってました(笑)。パチンコ屋で働いていた時に、よく勝っているお客さんもいたから、これは攻略法があるだろうと思ったんです。働きながら色々観察して、僕なりに予想をつけるわけですよ。今日はこの台が出そうやな~って思うと、結構な確率で当たってました。これってもしかして他のお店でやれば儲かるのでは?と思って、他店の店長のクセや出る台出ない台のデータを集計して試しに行ったら、面白いように勝ててしまったんです。それからは、しばらくパチプロとして生活してましたね。ただ三重県は9時から0時まで営業してるのですが、当時は今みたいに整理券が配られるわけでもなく、並んだ順に好きな台を取るシステムでした。なので、前日0時まで打って1時に寝て、翌日朝4時から並んで0時まで打つ生活は費用対効果が悪すぎましたね。1番儲かってはいたんですけど、トイレで爆睡してしまった時に財布を盗まれて「もう潮時」だと悟りました(笑)。

本格的にホスト業界へ
名古屋では神扱い

自分で言うのもなんですが、貧乏だっただけでこれまでの人生で負けた記憶はありません。しかし唯一ホストとして売上で勝てなかった人・拓実さんのことをふと思い出したんです。あの人まだホストやってるのかな?と何の気なしに連絡してみたら、ホストクラブをオープンしたと。それがうちのグループの最初の店なんですが、僕もそこでお世話になることにしました。今でこそスタッフは100人以上いますが、当時はたったの8人だったんですよ(笑)。入店して半年後にはマネージャーになり、1年間で10回No.1を獲ることもできて借金も完済。ホストキャリアは本当に順調で、恥ずかしながら当時の名古屋でかなりバズってまして、周りからは神様なんて呼ばれてました(笑)。

名古屋でキャリアをスタートして30歳になった頃、会社も大きくなり他の地域への進出の話が出てきました。常々上の方に「経営させて欲しい」とお願いしていたこともあり、僕に「他府県でやるのであれば代表をやらせる」とお声がかかりました。もちろん「やります!」と即答しましたよ。それがNEO大阪になるのですが、あれだけ上に言って、結果を出せなかったらただのホラ吹きになってしまうので、必死になってやった結果、代表就任1年目でグループNo.1を獲ることができました。大阪は楽しい反面トラブルも本当に多くて、小さいモメ事であれば僕が解決できるのですが、大きいものになると名古屋から上の方が来て処理してくれていました。しかし、歌舞伎町への出店がほぼ決まり、ほとんど東京に行ってしまい、さすがに僕らだけで大阪で続けていくのは難しいということで、大阪を閉めて歌舞伎町に専念することになったんです。

飛躍し続けるNEOグループで
自分に出来ること

歌舞伎に拠点を移して約3年。場所が変わろうとも僕のスタンスは一切変わっていません。いま正にNEOグループがまた新しい一歩を踏み出そうとしていて、さらに大きいグループになることは間違いありません。僕も行く行くは複数店任せられるようになるのが夢であり目標です。そのためには人材をもっと育てていかないといけないというのはわかっています。面接でよく言うのは「ホストはコネも金もなくてもチャレンジできる職業。まずは1年やってみよう」と。何よりも行動に移す前から判断するのは違うと思いますし、僕の元で1年やったらだいぶ人間力は備わるはずです。

カッコいいだけでなく
尊敬される人間に

僕の持論になってしまいますが、とんでもないイケメンでない限り、ホストに対してのカッコイイや好きは1年程度しか続かないと考えています。人間性を高めて尊敬されるような人物にならないと、お客様はずっとはついて来てはくれないと思うんです。小さなことかもしれませんが、お客様が仕事で頑張っている時に自分が寝ているのは失礼だと思うんですよね。そこは睡眠時間がいくら削られようが、いつでも反応できる人間でありたいんです。よく「寿命を削っている」と言われますが、僕は平均睡眠時間3時間程度。でも他の人が7時間だとすると、1日で4時間も活動時間に差が出来ますよね?1ヶ月に換算すると120時間になって5日分ってことです。1年にすると60日も違うわけですよ。1年間で60日分を先に長生きしてると思ったらなんてことはないです(笑)。いま頑張っている従業員全員とは1日1回は喋るようにしています。彼らが普段何を考えて、どんなお客様と接しているのかとか、好みや特性もだいぶ把握出来てきてると思います。だからこそ、それぞれに合った育成プランを提示できると思うのです。セミナーを定期的に開いていますが、毎回全員に刺さることなんてないんですよ。自分に必要だと思ったことだけ聞いてもらえればいいし、わからなければとことん付き合って教えます。仕事で上手くいかない理由なんて人それぞれ違うわけで、足し算がわからないのに掛け算を教えてもわからないのと一緒です。それに自分の当たり前が他の人にも当たり前だとは限りませんから、そこはその人に合わせたやり方を考えるだけです。ただ、一貫していることは「まず想いを言葉にしよう、女性から尊敬される人間になれ」ぐらい。思っていることを言葉に出来なければ人前で話すことも出来ませんし、上にも上がれないですから。そして、女性からすごいと思われる人間にならなければこの仕事は続かないです。女性より頑張るのはホストである以上当然のことですから。

LUCKY 江戸川愛蘭

LUCKY

東京都新宿区歌舞伎町2丁目33-1 第6トーアビル3F
tel.03-6233-8694

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