今年も残すところ2ヶ月。
ホストさんたちの半生を綴る「ホストの足跡」は、実はこんなことが…と意外な一面を知ることができる大人気企画。ただしそれが良いか悪いかは…
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『ウルトラマン』や映画『海猿』の撮影現場で遊んだ思い出が……
親が映画関係の仕事をしていて、ずっと転勤族でした。親の職業柄、撮影現場に連れて行ってもらうことが多くて、例えば、小学生の時は『ウルトラマン』や映画『海猿』の撮影現場などに連れていってもらうこともありました。なので、有名なタレントさんに遊んでもらった思い出が今でもあります。ウチの家系はなぜか芸能関係者が多くて、タレントになる親戚が何人かいたんです。僕も子役としてスカウトされることもあったのですが、性格的に人前に出るのが苦手だったのでずっと断っていました。
芸能界に入るきっかけは高校2年の時。ちょうど人前に出ることに抵抗がなくなってきた頃で、家族で東京に行ったら、大手事務所からスカウトされたんですよ。嬉しくなって前のめり気味に審査を進めたのですが、結局落とされた。僕は天狗になっていたんでしょうね。でも、その出来事が無性に悔しくて、見返してやろうと本気で芸能系を目指すことにしたんです。まず、富山県にいたらチャンスがないと思ったので、上京を決意。東京にある大学を目指します。そして、在学中に何か特技を身に着けようと、ギターを本格的に始めます。つまり、タレントのなかでもアーティスト枠を狙っていこうという考えですね。作詞&作曲をして、ボイトレで歌唱力を鍛え始めました。
東京に上京をして、大学2年生の頃に芸能事務所からスカウトをされて、そこでタレントとしてデビュー。ただ、その事務所は業界内であまり力が強い方ではなかったのと、僕自身の認知度がまだなのでできる仕事といったら、エキストラ出演が中心でしたね。しかも、ちょうどその頃から菅田将暉さんのような歌も演技もできるタレントが増えてきていたので、僕も選択の幅を広げるために役者として演技も始めました。小劇場で最初に演じた役は、特攻隊の若い隊員。演技は突き詰めることができるので、自分との相性も良く、いろんな人の人生を学ばさせてもらいました。
ただ、明るい未来の方向性が見えてきたタイミングで、事務所のトラブルに巻き込まれて、事務所にはいられなくなってしまったんです。ちなみに、僕は何も悪いことはしていませんよ。ただ、これによって僕を含めて複数人がその事務所を辞めることになったんです。それが2022年12月の話。急に後ろ盾のないフリーになってしまったんです。そこで今まで養ってきた自分の個性を活かせる場所はどうだろうと、本気で考えて、考え抜いた結論として出てきたのがホストだったんです。
元役者&モデルが吐く練習から始める⁉
しかし、ホストをやるにしても僕には最初、致命的な弱点がありました。それはお酒に弱いこと。だから、お酒を飲む練習と、飲みすぎたことを考えて吐く練習もしたんですよ。そして、一流のホストになるために、ナンパ力を鍛えようと渋谷の街で夜な夜なナンパをしていたら、ある居酒屋でホストの人達がいたんです。そこで「ホストさんですか?」って自分から声をかけたんです。それが今のGMCの幹部の人たちでした。
ホストを始める時に決めたことは、1年間でナンバーに入ること。もし、これが実現できなければ僕はホストを辞めます。逃げ道は作りたくないので。GMCの千秋さんのように、ホスト業界に一石を投じるようなカリスマホストになります。
RION HISTORY
小学生 映画関係者の親の繋がりで、
様々な映画の撮影現場に足を運ぶ
17歳 大手芸能事務所からスカウトされるも、最終的には
所属できず。悔しくて本格的に芸能界を目指す
20歳 事務所に所属をしてタレントデビュー。役者、モデル、
エキストラなどで活躍
24歳 事務所トラブルで所属から外れてフリーに
25歳 ホストデビュー